ライオンジョンマーのとびすぎブログ

分人主義ジョンマーのいつも考えてること割とまんま書いてきます。自分哲学とか自分ルール含めて♪

優しい人と言われること。

ん~見た感じ人畜無害なタイプです。

 


昔からちゃんと話聞いてくれそうとかずっと言われてきてるのは確かにその通りなんやけど、

これ言われた側の捉え方の話を。

 

 

 

基本「優しい」って言葉は信用してません。

 


みんなそうやから。

 

 

 

性格とか長所とかの中で特筆すべきものがない時によく使われる言葉が、この「優しい」なんよね。

 


いい言葉として受け取ってない。

 


「いい人」と同じやね。

 

 

 

大体言われることも普通のことやってるだけよ。

 


話ちゃんと聞くとか当たり前やんコミュニケーションとるんやったら。

 

 

 

そらオレかていやな奴の話なんて聞いてないわ。

 


話の途中で切るわ。

 

 

 

みんなもそうやろ?

コミュニケーションとりたい相手の話はきちんと聞くやろ?

 

 

 

前誰かにも言うたんやけど、

嫌なこととか文句とかは相手見て言うので、信頼関係がないと基本スルーします。

 

 

 

まぁこの人とは二度と関わりたくないし嫌われようがどうしようがどうでもいいし何やったらいちいち返して時間使う方が勿体無いから笑顔でやり過ごしとこうか、と。

 

 

 

いい人とあかん人の差は結構激しいな。

 

 

 

優しい、とか言われる人は基本裏表が激しいと思うね。

 


隠してるだけやろうから。

 

 

 

いつも優しい人を怒らすと怖いって言われるのもそこやろね。

 

 

 

 


そういや、

「優しそう」とか言われるけど、その中で「怖い」と言う人もおる。

 


圧があるらしい。

 

 

 

いや、そんなこと全然ないんやけど実害がなければ。

 


めんどくさいから圧なんてかけねえし。

 

 

 

それでもそう思うってことはこっちに対して実害を出しているか、何かそう思われてるおかしくないことをしてるかどっちかやな。

 

 

 

…気ぃつけや。

アウトプットの気持ち。

寝落ちで昨夜上げれず…

 

そして、気づいたらとりあえずひと月経ってた。

ブログ始めて。

 

 

 

とにかく溜まってるものを吐き出す場にしようと始めてみたものの、

毎日溜まるものも更新されるから減る気配がないな笑

 

 

 

 


アウトプット推奨しています。

 

 

 

で、周りにはとにかく普段からアウトプットするための引き出しを増やせ、と言う話をしてます。

 

 

 

これ割と経験に基づいてて、

プライベートで話をするときに自分の多趣味な部分がすごく役に立ってて、

結構な確率で話が合います。

 


先日も匂いの話になって、香水の好き嫌いの話で盛り上がり、

ネイルサロンとかやってる知り合いに、仕事柄出来んからトップコートだけでもしてもらおか、とか冗談言えたり、

バンド、ダンス、アクセサリー、パソコンのことも、お笑いも、

何かすげぇ節操ねぇな。

 

 

 

自分からはあんまり積極的に話題はふらんけど、出たときに話合わせられるのは結構大事かなと思ってる。

 

 

 

ちなみに最近自分がふる話題は、

キンコン西野絡みが多いかな。

 

 

 

っていうか、

今現在進行形で面白いと思ってることやな。

 


この辺の人らの動向が今一番面白い。

 

 

 

まぁわかる人にしか話せんけどな。

 

 

 

 


話題を共通言語にできると強いからね。


っていうか、

この共通言語を作るっていうのはホント常に頭に入れといたほうがいいな。

 

 

 

何や言うてもコミュニケーションの基本で極意やと思うわ。

 

 

だからこそ、

趣味が同じ者同士、地域が同じ者同士、活動が同じ者同士、いろんな同じ者同士でコミュニティが出来上がるんやからね。

 

 

一年前くらいからホント、コミュニティ大事!って話ばっか聞くようになって、

昔からこのコミュニティの重要性はずっと思ってきてたので、

時代が合ってきたなと。

 

何が誰にヒットするかはわからないけど、

この共通言語作りは一朝一夕にはできないので常にアンテナ張り続けて常に動き続けて常に考え続けていかなあかんね。

令和!

新年号の発表がありまして。

 


退位されるから、というのはここしばらくなかったんよね?確か。

 


ちゃんと覚えてないけど。

 


でも昔は結構ころころ変えてたりもしたよね元号

 

 

 

新しい元号は「令和」とのこと。

 

 

 

なんか明治以降の元号って何となく日和ってるなぁ(?)って思ってたけど、

今回のなんかシュッとしてるな。

 


シュッとしてるて、バカの表現やけどw

 

 

 

何となくいろいろ変わりそうな雰囲気持ってるなぁ。

 


雰囲気はな。

 

 

 

最近は特に元号ではなくて、西暦で考えることが多いからあまり変わっても関係ないかもなぁ。

 


仕事とかの書類には影響するな。

 

 

 

何はともあれ平成も残り一ヶ月となりました。

 

最後のひと月!

 

楽しんでいくのが吉♪

ウソではなくガチ話。

エイプリルフールです。

 


大体毎年過ぎてから気づくんやけどな。

 


ネタ探してるとこういうイベントごとは格好の餌食やねw

 

 

 

 


毎年思うんやけど、

人は潜在的に騙したい生き物なんだ、ということなのかそれとも、

流行に乗りたい生き物なんだ、ということなのか思案しどころです。

 

 

 

 


二択である理由はないんやけど、

普段生活してる中で別に嘘をつく場面て悪い意味でもなくあると思うんやけど。

 


じゃあその時って何故つくのか?

 


相手によると思うんよね。

 


まぁつかざるをえない状況というのもあると思うけど、

それ以外に考えられるのは、

本人は冗談のつもり、

っていうのがあるかと。

 

 

 

で、

ここで問題になってくるのは、

じゃあ一体嘘と冗談に違いって何よ?ってこと。

 

 

 

辞書引くと、

嘘は、

事実でないこと、騙すための誤った言葉、

冗談は、

遊びで言う言葉、ふざけた内容の話、

 


とある。

 


冗談はさらに、真剣に捉えるべきではない些細なこと、ともある。

 

 

 

結局両方相手があることで、

些細なことかどうかなんて人のよって違うし、そこを理解してる相手でないと冗談て通じないと思うんよね。

 

 

 

大体嘘は最初から騙すこと前提なんで、悪意がある。

 


まぁ悪意がなければいいというものでもないけど、

どちらにしろやっぱ相手がいるのよね。

 

 

 

さて戻る。

 


騙したい理由は何?

 


承認欲求なんやろね。

 


普段から冗談を言い合える相手とかいないんじゃないか、と思われる。

 


そういう病気の人もおるけど、

結局それも関係性を築く経験をしてこなかったんじゃないかと。

 

 

 

コミュニケーションとかいうつもりはないけど、普段からコミュニティって大事やなぁと思うね。

 

 

 

エイプリルフールにしろ何にしろ、

迷惑かけたらあかんよ。

 


で、迷惑の線引きもこれ経験やわ。

 


楽すんな。

楽しめよ

 


人付き合いのね。

家族観というか価値観の話?

ちょこちょことネットの番組見てますが、

キンコン西野さんとか橋下徹さんとか落合陽一さんとかそんな番組ばっか見てます。

 

 

 

リアルタイムで見ることはほぼないのでバックナンバー見るんですが、

今日はnewsBAR橋下見てまして、

見てて思った家族観の話。

 

 

 

オレ基本的に家族という感覚が乏しいのです。

 

 

 

親には感謝はしてるけど、

あまり一般的な「親」っぽい感覚ではなくて面倒見てもらった人な感じをずっと持って育ってきてるので、

割と今も家族の形というものに頓着がないです。

 


でだ。

 


事実婚と結婚(法律的な婚姻)の違いって、結局法律的な部分なんやけど、そうかお互い自立してたら事実婚でもあまり関係ないのかもね。

 

相続とかそれこそ慰謝料みたいなことも含めてね。

自分らは自分らで一代で終わらせられたら考えなくてもいいもんね。

 

結婚観というか付き合う相手もそうやけど、自分の中での相手に求める条件が「自立していること」なんやけど、

よく考えると、お互い自立してたらあんまり結婚という制度自体はどうでもいいのかもね。

 

 

 

ん~、

家族って何だろね。

 

 

 

 


一つの社会では確かにあるんやけどな。

 

 

 

ちなみに結婚はせなあかんなぁとは思ってもしたいとは思ってなかった。

 


まぁ結果したけど。

 


寄っかかるのも寄っかかられるのも嫌いなんよね。

 


自分の足で立てや、て思う。

 


じゃないと家族関係なく関係性って意味無さなくて、

一方通行になったら多分あとは崩壊するだけなんよね。

 

 

 

どういう形にしろ、

それこそ恋愛でも友情でも同僚なんかでも、同志としてでもそれは関係ないかな。

 


相互コミュニケーションってそんなもんやよね。

哲学というか勉強のこと。

小学生の頃に先生に言われたことで哲学というものに出会い、

学生時代に哲学勉強するんやけど、

結構哲学の歴史ばっかり教えられて面白くないなぁ、と思ってたんやけど、

何故その哲学の歴史が大事なのかわかった。

 

 

 

思想の世界って、

その思想を確立した人の名前がそのまま思想のアイコンになってるんよね。

 


◯◯的って言うだけで、

あ~こういう考え方なんやな、って理解される。

 


共通言語やね。

 

 

 

最近はネットが身近なんで、すぐにわからんことは調べられるので調べるけど、

やっぱりスピードがなくなるのよね。

 

 

 

あと、

ツー・カーで話できること自体が信頼につながるので、知識は必要やなぁ。

 

 

 

 


っつか今更やけど、

マジメに勉強しとけばよかった…

 


今からでもやれるけどな。

 


ぼちぼちやろうか。

学びって結局何?

学びってどういう時にできるのだろうか。

 


まぁ、いつもそんなこと考えてるわけじゃないんやけど。

 

 

 

そもそも学びって何かな。

 


自分の答えは経験でしかないかな。

 

 

 

 


最近ほんといろんなところでPDCAの話聞くけど、

別に特別なことでもなくてね。

 

 

 

ザックリした言い方にすると、

考えてやってみて、

結果を受けて修正する。

 

 

 

世の中にはわざわざややこしくするために難しく言うものが多いな。

 


ごまかすための言い換えとかな。

 

 

 

逆に、

そういう括りをつくることで受け入れやすくすることもあるからどっちがいいかとかは難しいけどな。

 

 

 

 


で、

よく「引き出しを増やせ」という話をするんですが、

それが要は学びにあたる部分かな。

 


自分にとって。

 

 

 

知識だけではないし、実践だけでもない。

 


検証結果というのが学びの正体か、と。

 

 

 

どんなことしたらどうなった、

良い悪いはまた別の話で状況によって変わるので、

ただ単純に現象としての結果を刻む。

 

 

 

 


今回は目的に添えてなかった(悪かった)から使えない、にはならんからな。

前と違う状況やからハマることもあるしな。

 

 

 

ってことはだ。

 


何やってても学びになるんだよね。

 

 

 

仕事やろうが何やろうが

常にこの検証作業をクセ付ければいいだけや。

 


それだけで経験値ってバカみたいに上がるんじゃないかな。

 


お手軽w

 

 

 

まぁこの辺の考え方が

年上年下あんまり関係ないって思ってる所以やろな。