そこに愛はあるのかい?
さて令和です。
平成お疲れ様でした。
令和よろしくお願いします。
愛について語りたいと思います。
恋愛ではなくて愛ね。
叱ると怒るの違いは何処にあるのだろうか、と言う話なんですが、
簡単に言えば自分に向いてるか対象者に向いているかなのかなと思ってます。
怒るは自分の感情に起因する、
叱るは対象者の成長を願う心に起因する、と言ったところではないでしょうか。
だからみんな怒るな叱れ、と言うんですが、如何せんその中身についてまで言うてくれる人がまぁまずいない。
説明できないのは理解がまだ自分の中に落ちてないからだろうね。
で、
子育てどうこうと言う話ではなくて愛国心という話。
例えば今も令和に改元されて概ねお祝いムードですが水を差す人は必ず一定数います。
中国や韓国や他の国でもそうですが、日本悪い論の人います。
沢山います。
さて、
その言葉の先にあるものは何?ですよ。
日本は言論の自由や信教の自由がある国。
雑破に考えると、
思想の自由が許されてる国でもある。
それが他人の自由の侵害や基本的人権と言われるようなものに触れた時に問題にはなりますが、
思想として持つ分には特に問題はない。
現代は個人拡散の時代で、考えてることプライベート何でも個人が発信できる時代なので、
このブログもそうですがとにかく垂れ流す。
垂れ流す。
ではその先は何処に向かってるのか。
発信をみんながするからインパクトが欲しくてみんなと違うことを言いたがる。
それは別にいい。
薄っぺらいものはすぐに消えていくから淘汰されることも大事。
言いたいことは1つで、
そこに愛はあるのかい??
ということ。
日本をこき下ろす、
そこに愛はあるのかい?
愛国心はあるのかい??
昔『狂気の桜』という映画のセリフでこんなのがあった。
ーわたし、日本という国は好き。
ーでも今の日本人は嫌い。
右とか左とかいう薄っぺらいことではなくて、自分は自分がいる場所は自分が心地よくいられる場所にしたいと考えてる。
否定もするし肯定もするし、
応援もするし自分で動いたりもする。
今いる場所に愛がないのであれば、
愛が持てないのであれば出ていけばいい。
国に所属してるということは義務もあるけど権利もある。
恩恵も当然ある。
その恩恵なんかには目を向けずに好き勝手言うからただの消費者でしかない。
消費者は同時に消費される側でもあるんやけど、そこは見ようとしない。
言葉にロジックを持たない奴が嫌いなのはそういところだ。
だからこそ、
他人の否定は愛を持ってするべし。
感情を理屈で説明しろ。