ライオンジョンマーのとびすぎブログ

分人主義ジョンマーのいつも考えてること割とまんま書いてきます。自分哲学とか自分ルール含めて♪

余裕っす。

バタバタ過ぎて完全に頭から抜けてたな…

 

 

きづけば今日は平成最後の日。

 

かと言って、

何か変わるわけでもないいつもの日常の1ページ。

 

 

明日から元号が変わるから気分を変えて会社でも変えようか、というわけでもない。

 

性別変えようか、というわけでもない。

 

何も変わらない「自分」の1日。

 

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意味のないものに意味を持たせることが大事、だという話をいろんなところで聞きます。

 

何やったら自分も言います。

 

 

でもやたらめったら意味をつければいいわけじゃなくて、

意味のないことも同じくらい大事なんですよね。

 

世の中全てのことにいちいち意味を求めだしたら、きっと世の中つまらないんだろうな。

 

 

意味のない部分が自分にとっては遊びの部分になるんじゃないかな。

 

遊び=余裕。

 

余裕がなければちょっとしたことで壊れるようになる。

 

そうならないようにゆるくいこうぜ。

 

 

好きなものとこと。

 


20190426
音楽好き。

 


映画好き。

 


イラスト好き。

 


シルバーアクセも好き。

 

 

 

総括すると結局創作物が好きなんよね。

 


何かその作成者の生き様というか何だろ?その人らしさが見てとれるから、っていうのは結構大きい理由かな。

 


哲学というかね。

 

 

 

逆に言えば好きじゃない作品と好きな作品の線引きがその辺にありそう。

 

 

 

バンドなんかは変わったバンド好きやからな。

 

だからこそ世界観を作り上げるV系とか好きなんよね。

 


一般受けはせんやろしメジャーでは活動できなさそうなバンドとか最高やね。

 

 

 

自分も人によく言われるからか、

ブレない人の姿勢が好きなんかな笑

 

 

 

最近は忙しくて(っていう言い訳をして)創作活動がなかなか出来てないけど、やっぱ人の創作活動も好きやし自分の創作活動も好きやから、

またいろいろ再開したいな。

 

 

 

1日が30時間になる薬と分裂して物事を同時進行できるマシンが欲しい。

 


今年のクリスマスはこれをサンタさんにお願いやな笑

慣れ。

どうも紙媒体のマンガを読まなくったなぁ。

 


今は基本デジタルで読むので、買うのはデジタルで買う前から読んでるやつだけなんやけど、買うけどまだカバンの中に入れっぱなしなのを家に帰ってくるたびに確認してます。

 

 

 

慣れってえらいもんやな。

 


前は何や言うても紙媒体の方がいいなぁ、とか思ってたけど今は別に変わらんわ。

 

 

 

ちなみに小説とかエッセーなんかの文字は紙のがいいな今でも。

 

 

 

本だけに限らず

環境の変化や生活習慣の変化なんかは昔から色々ある。

 


子供の頃、学生時代までは「オレ多分一生ゲームやり続けてくんやろなぁ」とか思ってたけど、家庭用ゲームはDSすらしなくなり、

スマホゲームなんかもやってたけど、今は時間潰しパズルくらいしかしない。

 

 

 

音楽なんかも一人暮らししてた頃は帰ったら常に音楽かかってたけど、今は移動の時くらいか。

 


テレビもそうやな。

今テレビなんか見てないもんな。

ネットTVは見てるけど。

 

 

 

そうやって変化してくし、それに慣れてくんやな。

 


習慣化させてくのは得意なはずやからその気になれば今と全然違う生き方出来そうやなそのうち。

 

言葉のチョイス。

人前で話をする、特に堅い話をする時に反応をすごくみながら話をする傾向にはある。

 

 

 

経験の賜物かな、とも思うけど、話をしながら見てて眠そうやな、と思ったら、急に話を振ってみたり何かさせてみたりと動かす方向にシフトする。

 

 

 

自分の話自体が基本堅くなるという自覚もあるので、この辺はすごく気をつける。

 


大体言い回しが独特過ぎてわかりにくいともよく言われるしね。

 

 

 

最近よく見聞きするトップランナーたちは割とみんな言い方が独特だなぁと感じる。

 


昔いたルー大柴みたいなね。

 


独特というかまぁ基本専門用語で話する人多いね。

 

 

 

だから自分も、というわけでない。

 


元々言葉のチョイスが割とズレてたりする。

 


仕事なんかは専門用語ばっかで理解されなかったら意味ないから極力わかりやすいように言葉には気をつける。

 

 

 

最近わかってきたのは、

自分も逆に独特な言い回しの人らの話を聞いてると、何でこんな言い方するんやろ?って思ってたけど、

言語と一緒なんやな、と。

 

 

 

英語が出来ない人の多くは、

例えば、「アップル」をわざわざ「リンゴ」に変換して理解するけど、できる人って「アップル」は「アップル」であってわざわざ変換して理解してない。

 


それと一緒で、

専門用語もいちいち変換して理解してないから、代わりの説明文がそもそも頭の中にないんやな、と。

 


そう理解できると、

横文字使いたがる人の頭の中が少し見えてくる。

 

 

 

別にカッコつけてるわけじゃなくて、

その人にとって一番しっくりくる言葉がそれなだけ、っていうね。

 


標準的とか何とかじゃなくてスタンダードはスタンダードなんですよね。

 

 

 

意味とか細かいニュアンスなんかも含めて体に馴染んでるとそれ以外に言いようがないのよ。

 

 

 

場面によって違うけど、

わかりやすければいいと言うわけでもない。

 


本当に伝えようと思うと余計にね。

 

ファンという存在。

ファンを作ろう、という話。

 


普通に普通の生活してる人にはあんまり関係ない話じゃないかなぁ、とも思ったりするんやけど、

そうでもない。

 

 

 

いつも常に頭に置いてるのは、

全員に好かれなくてもいい、

ということと

たった一人でいいからこっち(自分)を見てくれてればいい、

ってこと。

 


前者は、

自分が何か発信したり、もっと単純に言えば何か言う時にすごく関係してて、

嫌われたくない、とか他人を軸に据えて発信をするとどうしても当たり障りのない、所謂「一般的模範解答」に集約される。

 


かと言って何でもかんでも思ってること口にする、ってことではないんやけど、

例えば、子供が産まれた幸せ~♪なことをSNSとか、実生活の中で発信するとして、中には

子供が出来ない人の気持ちがわかってない、とか言い出すやつおるけど、そんなこと言うてたら何も発言できんし、何の解決にもならない。

 


ポイントがそもそもそこじゃない感満載のやつは基本的に何に対しても一定数はいるから、

そこに無駄な配慮をしない、ということ。

 


だから、

例えば震災の時にあったような、

日本ざまー!みたいなやつは、

人としてどうなの?って、ってことで発信しないし、

そもそもそういうやつは敵やから過剰反応しなければいい。

 

 

 

で、

要はそんなことも含めて、あれはだめこれはダメっていちいち自分に抑制をかけながら、って「自分」を生きれてない気がするのよね。

 

 

 

 

 

 

長いね。

 

 

 

 


後者は逆に守りの話で、

一人じゃない感って人が生きていく上でホント大事やと思ってて、

普段はあまり思ってなくてもたまに不安になることってやっぱりあるので、

それでもキチンと向き合ってくれる人が自分にはいるんだと認識することって心のメンテナンスする時の大事な一要素になる。

 

 

 

孤独に耐えられる人って中々いないから、だから他人の存在って大事で、だから社会性動物なんだろうな人間て。

 

 

 

話戻ると、

ファン、って言える存在ってホントに有難い。

自分は間違ってないんだ、という証明にもなるし、このままでいいんだ、と思える。

 

 

 

でもこれって発信できないと作れないものでもあるから、それが苦手な人って第一歩が踏み出しづらい。

 

 

 

自分も得意ではないから、特にサシ飲みなんて活動をする。

 


一対多は難しくても一対一なら大体の人は発信できるのではないだろうか?

 

 

 

仲のいい人、知り合い、身内、そんな近いところからならやれるのではないだろうか?

 


自分もまだまだここから。

 

自立ということの1つの見解。

昔のことを思い出した。

 


大学とか専門学校とか辞める辞めないで悩んでる人へ。

 


まぁ、

それ以外のことでもそうやから、

学費とか自分がやってることに対して金を出してもらってる人へ、かな。

 

 

 

金を出してもらってるんやったら

その結果を出資者に対して提示するのは義務です。

 


ましてや、学校なんてものは入った以上卒業することは達成せなあかん最低条件で、それこそ卒業証書は出してもらった学費に対しての領収書です。

 


自分の金でどうこうするのは、それは自由意志やから途中で止めようがどうしようがいいと思うけど。

 


人に金を出してもらうというのは、その出資者の希望に対しても義務を負うということなので、

縛られるし、それだけの責任が伴う、ということです。

 

 

 

 


今の人、若い若くない関係なく、

その辺が何かそもそもやってもらって当たり前、な感覚の人が多いよな。

 

 

 

 


自分の人生なんやから好きにして何が悪い、という言い分は、

精神的にも経済的にも社会的にも自立して初めて成立する言葉で、

たかが親のすねかじりが言っても何の意味もない言葉。

 


何せ人の金で生きてるってことは、極端なことを言えば生殺与奪の権利を他人に委ねてるんやから、そもそも自分の人生生きてないよね。

 

 

 

それでも学校辞めたいんやったら、出資者に出させて金全額返還せえよ、と。

 


それが自分に責任を持つ、ってことなんじゃないかな。

 

 

 

今の世の中、消費することしかできない、消費する権利ばっかりアホみたいに主張する「ただの消費者」ばっかやからな。

 


ホント生産性がない。

社会人の定義ってさ。

社会人ってさ、何を持って社会人なんやろね。

 


社会に出た時、って定義やと生まれて自我が芽生えた瞬間から社会人なのよね。

 


扶養から外れた時、やとニートとかは社会人ではないからいちいち叩かれる理由なくなるよね。

 

 

 

 


ちなみに辞書で調べてみたら、

社会の構成員と実社会で働いてる人と2つに通じるものそれぞれあった。

 

 

 

 


今回言いたいのは、

社会の構成員よ。

 


さて、

社会の構成員ってなんぞや??

 

 

 

家族は社会の最小単位やから、ガキでも社会の構成員よ。

 


ということで、

社会を構成するってことは何かよね。

 

 

 

そもそも社会って何?になるんやけど、簡単に言うと自分一人だけではないということよね。

 


別の人格の意思決定が存在するということ。

 


だから、

自分は良くても、それを良しとしない人がいるということを理解していることよね。

 


他人の意思決定も許容しないといけないことを理解していることよね。

 

 

 

回りくどいね。

 

 

 

あれよ。

 


何を勝手なことしてくれてんねん!

っていうね。

 

 

 

例えば、

人のもの何を勝手に自分の物差しで動かしてんねん!とか。

 


オマエは勝手なことしてんのに、何でオレはしたらあかんねん!とか。

 

 

 

社会に合わせることができんやつは社会人じゃないんやから、

そもそも社会の中で許容してやる必要はないよね。

 


で、

社会はそのためにルールがあるんやけど理解してないんやろな。

 


っつか、オマエが今おるその場所も社会の中なんやけどそれも理解してないんやろなぁ。

 

 

 

そういうやつのマーダーライセンス欲しいわぁ…